弓道とは、単なるスポーツや競技ではない。それは「道」(どう)であり、自己を修養し、人生を豊かにするための道程である。これから弓を手に取ろうとする者にとって、その一射一射は、単に的を狙う行為にとどまらず、日本の歴史と哲学の奥深い伝統へと分け入る旅の始まりを意味する。
この道の探求は、まずその道具、すなわち日本の弓(和弓, Wakyū)の特異な姿から始まる。2メートルを超える長さを持ちながら、握りの位置が中央ではなく下方に偏った、世界でも類を見ない非対称の長弓 。この優美かつ力強い形状は、一朝一夕に生まれたものではなく、幾世紀にもわたる日本の風土、技術、そして精神性の変遷が生み出した、まさに歴史の結晶である。
本稿の核心は、弓が辿った根本的な変容の軌跡を解き明かすことにある。それは、敵を倒すための戦闘技術であった「弓術」(きゅうじゅつ)から、心身を鍛え、人格の完成を目指す「弓道」(きゅうどう)への昇華である 。この「術」から「道」への転換こそ、弓道の歴史を貫く最も重要な主題である。
この転換を理解する鍵となるのが、「正射必中」(せいしゃひっちゅう)という弓道の中心理念である 。「正しき射は、必ず的に中(あた)る」という意味を持つこの言葉は、結果としての的中そのものよりも、そこに至る過程の正しさをこそ至上とする。正しい構え、正しい動作、そして正しい心。これらが一体となった時、矢は自ずと的へと導かれる。つまり、弓道における真の的とは、自己の内にある雑念や未熟さであり、それを克服するプロセスこそが修行の本質なのである。
これから始まる弓の道は、単なる技術の習得ではない。それは、古代の狩人が抱いた自然への畏敬、武士が命を懸けて磨いた技と精神、そして泰平の世の求道者たちが見出した静
謐な自己との対話、そのすべてを受け継ぐ壮大な旅路なのである。