日本の弓の歴史は、武士の時代よりもはるかに深く、国の成り立ちそのものと響き合っている。それは、生きるための道具として生まれ、やがて神聖な祭具となり、ついには比類なき威 力を誇る武器へと進化を遂げた。この章では、その黎明期から、和弓がその独特の姿を確立するまでの軌跡を辿る。

1.1. 弓の夜明け:一万年の遺産
弓矢の歴史は、日本列島における人類の営みの最も古い層にまで遡る。原始的な弓は、およそ1万年前の石器時代にはすでに狩猟の道具として用いられていた 。弥生時代に入ると、銅鐸に描かれた狩猟の様子から、すでに長弓が使われていたことが確認できる 。これは、弓が単なる生存の手段であっただけでなく、早くから日本文化のなかに深く根を下ろしていたことを示唆している。
弓の役割は、実用的な面に留まらなかった。古代の墳墓からは、狩った動物と共に漆塗りの弓矢が埋葬された例が見つかっており、これは弓が神聖な儀式に用いられる祭具としての側面を持っていたことを物語る 。生きる糧をもたらす道具は、やがて神への捧げ物となり、威儀の象徴として、人々の精神世界においても重要な位置を占めるようになっていったのである。
1.2. 謎めいた形状:非対称長弓の誕生
日本の弓を世界の弓から際立たせている最大の特徴は、その非対称な形状、すなわち「短下長上」(たんかちょうじょう)と呼ばれるデザインである 。弓の中央ではなく、下から三分の一ほどの位置を握るこの独特の形式は、石器時代の銅鐸に描かれた絵にも確認されており、その起源が非常に古いことを示している 。
なぜこのような形になったのか、その理由は未だ謎に包まれている。現代の物理的な分析では、この形状が効率的な力の伝達や矢の速度向上に寄与するとされるが、古代において、そのような性能を意図して設計されたとは考えにくい 。むしろ、その起源は精神性や宗教的な思想に根差していた可能性が指摘されている 。明確な起源が解明されていないという事実そのものが、和弓に神秘的な魅力を与えている。この類い稀な美しさを持つ弓は、日本の独創的な精神文化の産物と言えるだろう 。
1.3. 力の進化:単一材から複合弓へ
和弓の進化の歴史は、その構造の革新の歴史でもある。一本の木を削り出した単純な弓から、複数の素材を組み合わせた高性能な複合弓へと、その技術は飛躍的な発展を遂げた。この進化の背景には、膠(にかわ)に代表される強力な接着剤の伝来と、より強い威力を求める武士たちの絶え間ない要求があった 。
初期の弓は「丸木弓」(まるきゆみ)と呼ばれ、単一の木材から作られていた 。最初の技術的ブレークスルーは、平安時代中期(10世紀頃)に現れた「伏竹弓」(ふせだけゆみ)である 。これは、木製の弓幹の外側に竹を貼り合わせたもので、竹の持つ高い弾力性により、弓の威力と耐久性が劇的に向上した 。
平安時代末期(12世紀頃)には、さらに進化した「三枚打弓」(さんまいうちゆみ)が登場する 。これは、木製の芯材を二枚の竹で挟み込むサンドイッチ構造を持ち、弓を張る方向とは逆向きに反りを持たせた強力な彎曲弓(わんきゅう)であった 。この三枚打弓の登場は、源平の合戦期と重なり、武士の主力武器としての弓の性能を決定的なものにした。那須与一が遠く離れた船上の扇を射抜いたという伝説も、こうした弓の技術的進化なくしては語れない 。
この技術革新は、単なる性能向上に留まらなかった。それは、武士という新たな階級の台頭と、彼らが繰り広げる大規模な合戦という社会的・軍事的要請に密接に結びついていた。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、武士の鎧(大鎧, Ō-yoroi)は、馬上からの矢を防ぐために堅牢な作りへと進化していた 。これに対抗するためには、鎧を貫通するほどの強力な弓が不可欠だったのである 。伏竹弓や三枚打弓の開発は、まさにこの「矛と盾」の進化の螺旋の中で、戦場の要求に応える形で推進されたものであった。弓の技術的発展は、武士の生死を分ける喫緊の課題だったのである。
その後の室町時代には、芯材の四方を竹で囲んだ「四方竹弓」(しほうだけゆみ)、さらに江戸時代には竹を主材とした積層構造の「弓胎弓」(ひごゆみ)が生み出され、和弓の製作技術は頂点を極めることになる 。今日、私たちが目にする和弓は、千年にわたる改良の末にたどり着いた、日本の職人技術と武士の精神が融合した工芸品なのである。
弓の種類 (名称)とその時代
- 丸木弓 (Maruki-yumi) 平安以前 単一の木材基本的な形態
- 伏竹弓 (Fusetake-yumi) 平安中期 木の芯に竹を一枚貼り合わせ威力・耐久性の向上
- 三枚打弓 (Sanmai-uchi-yumi) 平安後期~ 鎌倉木の芯を竹で挟み込む彎曲弓の導入、性能の飛躍的向上
- 四方竹弓 (Shihōdake-yumi) 室町時代木 の芯の四方を竹で囲むさらなる性能の最適化
- 弓胎弓 (Higoyumi)江戸時代 竹の積層材を芯とし、両脇を堅木で補強伝統的な弓作りの頂点